開戦前夜


「ネット上で行方不明者になっている」
と友人から聞かされて、それではと期間限定、クリスマス・ソングを届けるためにと、HPをスタートしてから約3年の月日が経ちました。それが当初はおぼつかなかったウィンドウズのマシンも徐々になれて、ついにリニューアルと相成りました。
そしてここからが本当の"ついに"なのですが、アルバムを作ることにまで発展しました。
これもひとえに長い間僕を応援し、探し続けて下さった皆さん、演奏・制作に付き合ってくれた友人たちのおかげです。

現在、音源もデザインデータも全て工場に入り、到着を待つだけとなりました。
今まで何の最近の音もなく、情報もほとんどないような僕のようなミュージシャンを見守り続けて下さった皆さんにやっと音を届けられる日が刻一刻と近付いています。
今の気分はまさに"開戦前夜"です。
これだけ長い時間がかかるとは誰よりも本人が一番想像もしていなかったのですが、プレス工場に出す直前に少し寂しい気持ちになりました。
これでもう「あーだこーだ」と言えなくなる。手塩にかけた子供たちが親元を離れていく・・・
まったく何のために作っていたんだ?と自分で自分に言い聞かせてやらなければなりませんでした。
 
そもそもなぜ今ここでアルバムを作りたいと思ったのか?
何年も活動らしい活動をしてこなかった人が。
その辺のいきさつを知りたいと思っていらっしゃる方も多いかと思います。
そうなってくるとなぜ音楽を続けるのか?という問題を抜きには語れなくなってきます。
さてさて、長い長い(支離滅裂な)話になりそうです。

曲を書くとき、アルバムを作るとき、これといったテーマを決めてはじめる事はほとんどありません。書き上がっていく途中、あっちへ立ち寄り、こっちへも首を突っ込みながら、ひとつの作品に仕上がっていきます。
ましてやアルバムとなれば全部のピースが揃ってから
「な〜んだ、オレはこんなことを歌いたかったんだ」と本人も確認できるわけです。

今回の「dribble」もそうでした。
第一回目のアルバムジャケットの打ち合わせのために、初めて"小さなレコード会社"全員が集まった夜のことです。
僕が発信する言葉からジャケットのヒントを探そうとデザイナーの南原さんが一言一言をメモして下さっていました。十年振りくらいに会った彼が、
「サンタは大切なものを運び続けてきたんだね〜」
と言いました。そして
「ねぇ、サッカーでさぁ、ドリブルってどういう意味?」と質問がありました。

ボールを失いそうになることも、後ろに下がることも、誰かに預けることもあるけれど、大切なものを愛し運び続けるというタイトル・テーマはこの時に姿を見せたのです。
一曲一曲の中で、「運ぼうよ、走ろうよ」と言っているものはありません。
しかし、ずっと長いこと僕が思い走ってきたことは、まさに大切なものを愛し運び続ける
ことでした。

今回のアルバムの中に「誰かの何かの役に立ちたい」という曲があります。
作ったのは、障害を持って産まれた息子の療育のお手伝いとして多くのボランティアの方に多大なるご協力をいただいていた頃でした。
毎日毎日、親でさえ音を上げてしまいそうなプログラムを、素晴らしい愛情をもった方々に支えていただきました。世の中から(音楽業界から)独りとり残されてしまっているかのように感じてしまいがちだった僕を支えて助けていただきました。
曲を書く気になんて到底なれないと思っていた時にふとギターを手にして出来たのがこの曲です。
その方たちに何か恩返しが出来ないか?僕も繋がっているんだという思いが形になったのだと思いますが、その、ふとギターを持った時に僕は「最悪だー!人生なんて夢も希望もありゃしない!」と思っていたのですから。

 と、ここまで書いておきながらなんですが、
聴いて下さった方から
「良かったよ」
と言っていただけた時の喜びのために音楽を続けているという自分もいるわけです。作っている時の重さというか息苦しさみたいなものもそんな一言で報われます。
褒められたい、認められたいだけなのかなぁ?などと情けない気持ちになることもあるのですが、やはり誰かと繋がっていたいのでしょう。孤高のアーティストを自認し山奥へ行って修行のように音楽を作り続けていくという選択肢もあるわけですから。
そんなお気楽な自分も、ちょっと真剣な自分も、まさに「人生を買っていただく」シンガー・ソング・ライターらしいアルバムになったかな?と。
本当に長い間お待たせしました。
「山腰直彦/dribble」完成です。

沢山の才能あふれるミュージシャン達に、愛の溢れる友人たちに協力していただきました。
そのすべてがCDを手にしてくださった皆さんに伝わることを心から祈って。

               2005年 Christmas 山腰直彦